あらゆるレベルで与えなさいとは!
与えるという行為が、子供のころ、苦痛で仕方なかったわたし。
今思うと、受け取る権利は自分にはない、
与える行為には、必ず見返りがあり、
純粋に与えるということがよくわからない状態でした。
何か与えられると行為は、何かを返さなきゃいけないと
思うような積み重ねの出来事!
「〜してあげているのだから、いうことを聞きなさい。
ゆうこと聞かないと罰が当たるから」
という呪いの言葉。
愛情でない、周りの目があるから
義務感や社会のルールによって親が表現していました。
無償の愛で与えられたら、どうだったんだろう。
素直に、受け取ることができたろうか?
赤ちゃんから幼いころ素直の時期に、
愛情をたくさん受けた子 そうでない子では、
差がつくよねと仕方がないと思っていた30代!
今、思うことは、すべて経験するために生まれ、
自分が選んできたこと、欲しい意識が強かったため
気づくまでに 時間がかかりました。
心から与えることが、よく分からないでいました。
頭では理解していますが、感情が置いてきぼりなんです。
自分が枯渇している状態であっても、 与えなきゃいけない、
と思っている自分、生活は悪循環です。
自分の心の欲求も感じなくなるぐらいに!
では、どうしましょう。
与えるものは何も、
物理的ものではなくていいのです。
周りに笑顔で返すことが、周りが笑顔になる。
行動で表すことでも、いいのです。
自分を満たすものは、物理的なものだけではありません。
自らが発信できるもの、得意なものでもいいと思います。
これならできるなぁ〜と感じで初めて見ました。
さぁ、与えることについて見つめて、
与えることに、どんな感情が湧きますか?
不足感ですか?満足感ですか?
自分の心の状態で、表現が変わります。
自分の心のあり方を観察し、与えることについて
心がどんな動きをするか知っていきましょう。
(あら、こんなわたしがいた!)
知らなかった自分を知るチャンスです。
不足状態の心で、与えるとさらに心が枯渇してしまう場合があるから
心が余裕があるもので良いのです。
余裕がなければ、〜して欲しいと言われても、断れば良いのです。
(わたしも昔よく我慢して、やっていたなぁ〜)
断ることも大切なこと!
良い状態のエネルギーで与えるのとそうでないとき
表面に現実化することが違ってきます。
自分ができることからで、良いんです。
心に余裕が出てきたら、
心地よく受け取る・与えるというゲームをしてみると面白いですよ!
与えるが苦手な人は、受け取るのも同じように、
たくさんの制限を持っています。
受け取って良いんだ〜と肯定的に思えるように慣ればなるほど、
心から与える喜びもわかるようになってきます。
自分に、何を与えているか知ってみると面白いですよ〜
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